前回の話「 【新卒うつ退職】22歳女、会社を急に辞めて無職に…まず考えた事と心境 」で急な予期せぬ退職を味わった当時22歳の私は、とにかく次の仕事を見つけるべく職探しをし始めます。
まず応募したのは前職と同じ職種のデザイン系の会社でした。
目次
【ハローワークで職探し】デザイン会社の正社員に応募するが不採用
一人暮らしなので生活できる給料を考えて選ぶ求人は正社員一択でした。
この時はバイトの掛け持ち、Wワーク、派遣、契約社員などの選択肢が考えられなかったです(正社員一択しかないと思ってた)
あとは希望していたデザイン業の求人が基本正社員ばっかだったてのもあります。
あるデザイン会社の求人が出てたんだけど…
そこは私が学生時代から見かける求人で県内の業界内でもしょっちゅう出てる求人と言われてるやつでした。
いわゆるワケアリ求人ですね(笑)
本当は行きたいわけじゃないけどそうは言ってられないし「仕事決めなきゃ!」の一心だったんで即応募。
履歴書を郵送後、連絡が来て面接をしました。
名刺制作の課題を出される
するとデザイン会社なので「名刺を作って提出してください」という課題が出ました。
実技試験みたいな感じですね。
デザイン会社によってはその人がどのくらいのデザインが出来るのかを知るために採用の項目でこういった課題みたいなの出すとこもありますね。
「出来たらメールでデータを送ってください。その後ご連絡します」
とのことだったので、張り切って名刺を作りました!
早く仕事に就きたかったので採用されるように意欲をアピールすべく複数案の名刺デザインを作り、送る前に本当にこれでいいか何度も見返してやっと送信!
あとは結果待ち!
結果がこないので電話で問い合わせしてみたら…
それから2、3日とかすぐに連絡が来るのかなーと思いながら待ってました。
が、しかし。
1週間、2週間、3週間たっても連絡こない。
2、3日はさすがに早く期待しすぎたかもしれないけど「せめて2週間以内くらいには連絡来るもんじゃないのか?」とソワソワしだします。
面接時点で謎の手応えと自信は感じてたんですが…
嫌な予感がしてきました。
いつまでも待ってられなくなってきたので3週間ぐらいたったあたりにこっちから控えめに電話をしてみました。
電話するとその場で採用、不採用は伝えられず「またこちらからご連絡します~」と電話は終わりました。
そして、また少し待ったある日、
一通の手紙がポストの中に。
なんだか、イヤな予感…
中身を開けてみると…
不 採 用 通 知
「ふざけんな!ダメだったらさっさと連絡しろよ!」
面接から結局1ヶ月近く待っての不採用通知でした。
手応えはあったと思ってたのと「仕事なんてすぐ決まるだろう!若いし!」とか思ってた自分にとってこの1回の不採用はショックで焦りと不安が一気に押し寄せてきました。
今思えば「1回ぐらい不採用でもなんのこれしきw」って感じなんですが、当時はうつうつとしていて通院しながら治療中でもあったんで、そんな感じに物事を前向きに捉えることができない状態で焦りが圧倒的に強かったです。
この1回の不採用で焦りだした私は手当たり次第、やみくもに職探しをしはじめます。
次はバイト経験のあったスーパーのパートに応募しました。
スーパーのレジのパートに採用!
その後「正社員じゃなくてなんでもいいから仕事きめなきゃ!」と焦り出し学生の頃スーパーでバイト経験があったから「これならできる」と思いスーパーのレジパート求人に応募。
前回の不採用もあって「採用されないんじゃないか」と自信喪失してましたが無事採用。
採用された時はすごく嬉しかったです。
電話を受けながら何度もペコペコ頭を下げて喜んでいました。
「自分でも採用されるんだ!」って感じで。
軽うつになったことによる急な退職、その後受けた会社の不採用などで自信がなくなってた私は採用されるかも不安だったので、採用の電話が来た時はホッとして涙が出ました。
この間も相変わらず通院していていました。
病院の先生からは「働けるなら働いてもいい」と言われてました。
通院の時「スーパーのパートの仕事が決まった」と伝えると「パートならかけもちしないと一人暮らし厳しいんじゃない?」と言われなんだかもやもやしました。
「うつだからもう少し休んでいいよ」とどこか言われたかったんだと思います。
そんなこんなでいざ、仕事を始めます。
無職だったのですぐ勤務できると伝えていざ出勤。
初日勤務「最低2年はいてほしい」と言われ辞めたくなる
初日。
覚えることが多く感じ、学生の頃とやってたレジ業務とは違ったので何もかも初めてでした。
緊張しながら職場へ行き挨拶してまわる。
スーパーの裏側って慌ただしいから少しオロオロしてましたね。
そんで、いわゆるパートリーダーの女性が私について指導してくれました。
その女性は上に立ってるだけあってか気が強めだったのでそれにも少し怖気ついて初日から圧を感じていました。
しかも「最低2年はいてほしい」と言われ少し動揺。
「え、2年も働くつもりはないんだけど…」
無意識に「2年働かなきゃない」と思い込んでしまいました。
ただ「最低2年はいて欲しい」と言われただけなのに。
いつやめようが個人の自由なのに(笑)
当時は柔軟に考えられなかったです。
スーパーのレジ仕事はリハビリがてらに選んだ仕事でした。
それを経てまたデザインの仕事に復帰する計画をぼんやり描いていたので、スーパーでずっと働く気は無かったしこの「2年」ってのが長く感じて「最低2年はいてほしい」とか言われても辞めるのは個人の自由なんで適当に流せばいいのにバカ真面目な私は「2年いなきゃないのか…」と顔が曇りだしました。
しかもレジ打ちの大会などに出てるガチ勢のスーパーレジ業務でした。
そういった話をされて率直に「嫌だな」って思いましたね(笑)
でも働いて給料をもらわないと生活できなくなるので「とにかく仕事をおぼえなきゃ!」と指導されたことをメモして体で覚え始めます。
レジ操作や仕事が覚えられない…
商品券の処理の仕方やビール券とかポイントカードの発行の仕方とか…
もう訳がわからなかったです。
なかなか覚えられないまま3日後くらいにはレジの対応に入るようになりました。
混んでいる昼間のレジとかあっぷあっぷで次から次へと人が来る…
- 他の対応もしなきゃ…
- 出来なくて注意される…
- 覚えられない…
できない自分に落ち込みだします。
「この間まで普通にあの会社で働いていたのにアタフタして…
こんなことしてなんてみじめなんだろう。」
そう思ってました。
プライドが高かったです(笑)
新人のころは失敗してなんぼ!って感じに前向きに物事を捉えられなかったので悪い方向にばかり気持ちがいってました。
スーパーのパートを1週間で辞める
そしてスーパーのパートの仕事を始めて1週間、アタフタ覚えられない日々が続いて私は「働くのはまだ早かったんだ」と自分に言い聞かせて辞めてしましました。
今思えば新しい仕事に就いた新人がすぐ仕事ができないのは当然だし、すぐに覚えられないことがあってもしょうがないけど、当時の私は少しでも「できない」と思ったらもうダメって思ってたので、気楽に物事を考えることができずに「ここのスーパーのレジは自分にはできない仕事」と思い込んで辞めてしましました。
いわゆる完璧主義です。
「白」か「黒」みたいな。
ちょっと出来ない=全部できないと思ってしまうとか。
辞めるってのは電話で伝えて職場に行って挨拶してエプロンとか返してきました。
「辞める」っていうのはすごい緊張しましたが「もうできない」という気持ちが強かったですね。
- 「なんて自分はダメなんだろう」
- 「経験のあったスーパーのバイト(パート)すらできない」
- 「他に何ができるんだろう」
- 「逃げてしまった」
かなり落ち込みうつうつして泣いて自信をなくしてました。
「できてた」ことが出来ないショック
「スーパーのレジは経験があるからできるだろう」
と思っていたのに「できないことが多い、レジですら出来ない」と思った私はかなり落ち込みました。
「できる」と思っていたことができない。
追い込まれた感じになってますます自信をなくしました。
視野が狭かったし全て悪い方に考えてしまう思考も軽うつだったからなのかな、と今では思います。
「もしかして、仕事を探し始めるのも早かったのかな?」と後で思いましたが一人暮らしで実家に帰るという選択肢はなかったので当時はがむしゃらでした。
そんなこんなでスーパーのレジのパートは1週間で辞めました。
逃げるように辞めてしまって精神ダメージがありましたがこの後また仕事を探し始めます。
次の話では別のデザイン会社のバイトに採用されるものの3日で辞めてしまいドン底に陥ります…
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